長崎から発信のえびす、恵比須、恵比寿、ゑびす様

流刑にされた俊寛僧都を慕って京より下った童僕有王は、「伊王島」を望み、泣いたと言伝えられる。
この有王を祀る有王塚には二体の波止恵比須が祀られている。
波止恵比須は鍋島領深堀時代のもの。この浜は有海<あるみ>と呼ばれている。

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俊寛僧都の物語は、平家物語を始め、色々な文書に記され、後世、能や歌舞伎で有名になった。奢れる平家の打倒を図り、「鹿ケ谷の陰謀」が発覚して、平清盛の怒りに触れ、俊 寛僧都、丹波少将成経、 平判官康頼が流罪となった。その「いおうじま」とは、次の3つの 説 がある。鹿児島県の「硫黄島」(鬼界ケ島)、 同じく鹿児島県大島郡喜界町(喜界島)、そして、長崎県の「伊王島」である。しかし、いずれもはっきりした確証はない。 伊王島 町における俊寛僧都の研究は「伊王島町郷土史」に詳しく纏められている。写真は俊寛僧都の墓と、暮らしていた庵と云い伝えられる井戸跡。

昭和十年、北原白秋は、僧俊寛の遺跡が伊王島にあると聞き、六月に島を訪れている。 昭和十七年多摩詩に伊王島と題して、長歌一首と反歌を詠んでいる。

反歌 いにしえの流され人もかくありて         すえいきどうり海をにらみき

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